宮下将太 / 陶芸家
1992 - 神奈川県、横須賀市に誕生
1996 - 千葉県、木更津市に移住
2010 - 東京、表参道にて美容師に従事
2013 - 東京、表参道にてレストランに従事
2016 - 陶芸に出逢い、岐阜県土岐市に移住、弟子入
2019 - 独立、岐阜県土岐市に工房を構える
0.001gに及ぶ調合、1℃単位の焼成等の 独自研究にて生み出した
釉薬の結晶、色彩、テクスチャー を駆使し
音楽、映像、俳優、蝋燭、服飾、刺青、盆栽、花、
料理、紅茶、科学者、百貨店、自動車、宿泊施設、雑誌など
多岐に渡るジャンルとのコラボレーションやプロデュースを手掛ける他、
スタッフを雇いチームとして活動。
拠点となる美濃焼の産業の「技術」を
作家の視点から「技法」として捉えたプロダクト「HINOMIYA」発足。
アーティストの活動を支援する「ART BIRTH」計画を進めるなど
従来の陶芸家の枠を超え、産地全体を見据え精力的に活動している。
『陶』を介して世界と繋がる。
誰よりも陶芸家らしくなく、誰よりも陶芸家。
釉薬のように結びつき変化し続ける。
-Exhibition
2019/9 博多阪急
2019/12 代官山 RUMHOLEberuf
2020/2 岡山 Retikle
2020/3 仙台 Origami Sendai
2020/5 高知 蔦屋書店
2020/6 博多阪急
2020/11 栃木 Gallery komorebi
2021/3 代官山 RUMHOLEberuf
原宿 GARROT TOKYO
名古屋 GARROT NAGOYA
心斎橋 PARCO
三軒茶屋mana's green
2021/4 とうしん美濃陶芸美術館「土からはじまる」
2021/5 蔵前 水犀
池袋 西武本店
2021/6 渋谷 JOURNAL STANDARD
2021/7 原宿 Laforet
2021/8 青山 At kiln
2021/9 とうしん美濃陶芸美術館「MINO茶碗100」
益子 もえぎ
銀座 三越
2021/11 岐阜 Ceramic Valley Craft Caravan
青山 At kiln
2021/12 西武池袋
名古屋 高島屋
2022/ 2 台湾 monoiina
2022/3 岐阜 CERAMIC VALLEY CRAFT CAMP
2022/6 池袋 西武本店
-TV
2020/2 趣味の園芸 京も一日陽だまり屋
-Magazine
2020/4 東京カレンダー
2021/5 Pen
2021/10 RiCE
2022/4 FIGARO
-Newspaper
2020/6 西日本新聞
-Fashion show
2020AW saby Collection
-Collaboration
2020/9
Renault x Diners Club france restaurant week
2021/1 西武池袋 MASK OF CREATORS
2021/2 西武池袋 GIFT OF CREATORS
2021/5 ONE OK ROCK - Renegades cover
2021/10 RiCE / PERIMETRON / 木戸泉 / 千葉麻里絵
-Model
2021/7 温故知新 Fashion show
-Set
2021/6
WORTHLESS x JOURNAL STANDARD 表参道
-HISTORY-
-陶芸に出会うまで
陶芸は生まれて初めて「自分」を感じさせてくれました。
幼稚園の卒業文集に、他の子が「忍者」「サッカーボール」など自由すぎる夢を書く中、
僕が書いたのは「夢はまだ決まっていません」
幼い頃から夢を持てないことがコンプレックスでした。
結局友達に誘われるがままに美容専門学校に入り
「やるなら一番になるぞ!」と表参道の美容室で働くも、
突然のリストラを2度も経験しました。
しかし、専門学校まで出てここで諦めたら後がないと思っていた僕は次の美容室を探しました。
とは言っても日銭を稼がなければならないので
美容室の多い表参道のレストランで働きました。
そこは200席以上の大箱にも関わらず毎日満席で
受付、ウェイター、ウェイター補助、キッチン、料理をエリアまで運ぶ係、
皿洗い、バリスタ、バーテンダー、エリア全体のケア
と様々なチームで動く戦場のようなお店でしたが
チーム一丸となって連日沢山の笑顔のお客様を送り出していました。
「やるなら全力で!」と最速で全ての業務を覚え、
気づけばサービスを教える立場にまでなりました。
そこで今一度今後の人生を見つめ直してみました。
「美容師は一度離れてみて冷静になってみると自分の体質に合っていなかったのかもしれない。
では飲食業は?楽しいけど人生かけてやっていける程の情熱は燃やせないかもしれない」と
真っ黒な海の底を覗くような不安の中日々を過ごしていました。
そんな中、知人に誘われ、休みの日に埼玉の陶芸体験教室に行きました。
初めてのろくろは衝撃的でした。気づけば先生に「もうそれ以上はやめて!!」と言われながら
「いや!ここをもっとピッと!」と口答えするほど熱中していました。
攻めに攻めてご満悦の僕はそのまま家路につき布団に入りました。全く寝れない。
「ん?何故だ?」と今日を振り返る。
「そうか、陶芸そんなに楽しかったんだなあ」「そもそも陶芸って何???」
とても寝付けそうにも無いのでGoogle検索窓に[陶芸]と入力しました。
どうやら岐阜は人間国宝最多数を誇り陶磁器の生産量日本一の産地であるとの事。
いてもたってもいられず、100円ショップでスケッチブックとマジックペンを購入しヒッチハイクで岐阜に向かいました。
気さくなトラックのおじさんの釣りトークを話半分に聞きながら「陶芸家に俺はなる!」と何故か確信し、心踊らせていました。
これが人生で初めての、自分の意志での「選択」だったような気がします。
-なぜチームで活動するのか?
5年前岐阜へ初めて来たとき、町中を回って色々な方に
「陶芸家になりたいのでこれから起こる悪いこと、辛いことを教えて下さい」と聞いて回りました。
美容師時代、理想と現実のギャップに悩んだのでそこを先に埋めておく為です。
イバラの道も見えていれば怖くない。
そこで言われた印象的な言葉が「陶芸家は5年で壁にぶち当たる」でした。
陶芸家として売れる事がまず大変。挫折して皆辞めていく。
売れっこ作家であっても壁にぶち当たる。
注文に生産量が追いつかない。作業に追われ新作を作る暇もなく、身体も壊していく。
「なるほど。絶対に陶芸だけで食べていくし、常に新しいこともやり続ける」と
まだ土練りも出来ない僕が心に誓いました笑
その打開策として僕が考えたのが「みんなで作る」というスタイルでした。
現場を知るため、2年半ほどの弟子経験を経て独立後、すぐにスタッフを雇いました。
技術を人に伝えるのは至難の業ですが、出来るだけ数値化して伝えることで
チームとしての制作スタイルを画一化することが出来ました。
そうすることで生産量を増やすことが出来たと同時に
新作や新企画に当てられる時間を増やすことが出来ました。
岐阜に来て5年が経ちました。例の「壁」は越えて行けそうです。
レストランで学んだ「チーム」の力で今後もさらに成長していけると確信しています。
-美濃焼の現状
僕の活動する美濃焼の産地、岐阜県土岐市は
日本一の陶磁器生産量を誇る場所です。
この地には僕も含め多数の陶芸作家が各地から移住し、作陶の拠点にしています。
工業製品や量産品によって築かれた陶磁器産業に
私達作家も多くの恩恵を受けながら活動出来ています。
その産地が、衰退を続けている事はご存知でしょうか?
高度経済成長時の面影はなく出荷量は10年余りで半分以下に陥り、
後継者不足による高齢化が進み、工場が日に日に閉鎖し、技術も失われています。
土地の粘土も掘り尽くされ、今のままでは余命10年と言われています。
美濃は人間国宝を最多数輩出している土地であるにも関わらず
今では薄利多売やOEMに頼った大量生産により「安かろう、悪かろう」と言われ
1個数円の仕事を体を痛めながら続けている工場も少なくありません。
そこで去年は「もっと良質なものを適正価格で」を目標に掲げ
「HINOMIYA」というブランドを立ち上げました。
量産の技術をデザインのための技法と捉え、作家の解釈で活かす。
手の込んだ作品を作る事は長年量産に携わってきた職人の方達からすると効率が悪く
「こんなものはウチではできない」と沢山の場所で依頼を断られました。
しかし、そんな中で僕の美濃焼に対する将来のビジョンに
共感して応援していただける数社に出会うことができました。
「自分」をくれた「陶芸」
そこに関わる「作家」「職人」が化学反応を起こし
産地が活性化していく未来に向けて活動していきます。